わたしの時
ところで、ぶどう酒がなくなったことをマリヤがイエスに伝えた時、イエスは次のように答えました。
「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。
(ヨハネ2章4節)
これはとても不思議な発言に思えます。イエス様は母に対して他人であるかのように、「婦人よ」と呼びかけておられ、さらに親子の関係にありながら「あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」と言われ、一見冷たい言葉のようにも思えます。しかし、その後の「わたしの時はまだ来ていません」という言葉により、ここでのイエス様の言葉には、何かもっと深い霊的な意味が込められていることに気づくのです。「わたしの時」というのは、イエス様が栄光を受けられる時、すなわち十字架につけられて死に、よみがえる時のことです。
…人々はイエスを捕えようと計ったが、だれひとり手をかける者はなかった。イエスの時が、まだきていなかったからである。
(ヨハネ7章30節)
イエスは答えて言われた、「人の子が栄光を受ける時がきた。…今わたしは心が騒いでいる。わたしはなんと言おうか。父よ、この時からわたしをお救い下さい。しかし、わたしはこのために、この時に至ったのです。
(ヨハネ12章23~27節)
イエス様は婚礼に出席されたこの時、すでに(バプテスマの)ヨハネからバプテスマを受けて、弟子たちを持ち、メシアとしての公生涯に移っておられました。そして、それ以降のイエス様は、十字架と復活の「わたしの時」に向けて、神の御計画に従って歩むこととなるのです。
そしてこの婚礼にはイエス様は弟子たちと出席しておられます。当時、婚礼にはラビと弟子たちも招かれることが多く、この時の婚礼はイエス様にとって親戚か親しい友人であったかも知れませんが、イエス様はラビの立場も兼ねて招かれていた可能性があります。その公生涯に入られたイエス様に対して、母マリヤはそれまでと同じように、家長でもある息子として話しかけています。その母に対してイエス様は、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。」と言われたのです。
ちなみに旧約聖書の中には、これと同様の言葉が使われている箇所がいくつかあります。列王記下3章13節、歴代誌下35章21節、士師記11章12節、ホセア14章8節9節などです。これらを調べて見ると、「あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」という言葉は、自分の意に沿わない敵国の王に対してや、また神の預言者が神に背くイスラエルの王に対して使っていたり、神と偶像との係わりについて語るところなどで使われています。
ここの箇所は、マリヤの思いと神の思いと何の係わりがありますか、ということだと思います。葡萄酒がないという事態について、息子であるイエスに頼り、何とかこの危急の事態を切り抜けなければというマリヤの思いと、人類救済という神の御計画を成し遂げるために、神の御子としての立場で従って行かねばならないイエスの思いとでは大きなギャップがあります。
イエス様は後の章で語られているように、神の御子、メシアとして、自分は天の父の示される以外のことは、何事もすることができないんですよ、と言われたかったのかもしれません。
よくよくあなたがたに言っておく。子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができない。父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである。
(ヨハネ5章19節)
・・・わたしは自分からは何もせず、ただ父が教えて下さったままを話していたことが、わかってくるであろう。
(ヨハネ8章28節)
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