うちしおれている者を慰める神 (時をこえて-信仰篇 2022.10.10)

愛する娘が入院しなければならなくて、そしてそれがいつ再び会うことができるかわからないと、医師に言われたら、どんなに心が砕けてしまうことでしょうか?

私たちの場合は、そうでした。すべてが突然で、すべて私たちの力の及ばないところで物事が進んでいっているようで、私たちは、何をしたらいいか全くわからない状態でした。

パンデミックと騒がれ、その時はあらゆる恐怖があおられていた時でしたので、私達は絶望的でした。そうした医師からの「宣告」を受けて帰ってきてから、妻と私は、二人で小雨の中散歩していました。

降ってくる雨は、私たちの心の中でとめどもなく流れる涙のように見えました。しかし、それは聖霊の慰めであったと思いますが、「大丈夫…きっと」という思いがやってきました。

聖書には、「うちしおれている者を慰める神」という言葉が記されています。(第二コリント7章6節)

 神には、力を失ってしまった者を元気づける奇跡的な力があります。

私たちが、とぼとぼ歩いていると、小雨が止みはじめ、光が差してきました。見ると美しい虹が私たちの前にかかっているではありませんか。

このタイミングで、御霊の語り掛けられる御声を確証でもするかのように、美しい虹を私たちの村の上にかけてくれたのです。

私たちの心は引き上げられました。そして、奇跡に次ぐ奇跡で、私たちは悲しみに沈んでしまう代わりに、支えられ、そして、祈りの結果、素晴らしい結果を見させていただいたのです。

次の約束も真実であると、私はもっと深い確信を頂くことになりました。

神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。 (第二コリント 1章4節)

すべては神様の御計画の下で、主は、私たちの成長と訓練のために、許して物事を起こされます。

すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。 (Heb 12:11)

あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。 (第一コリント10章13節)

 もしあなたが、今試練の中にあるなら、私たちを慰めて下さった同じ神があなたを慰め、支えて下さると信じます。神にはできないことは何もありません。