あなたからのメール: 終末論に関する諸問題 CLXV

https://ichthys.com/mail-eschatology-issues165.htm

からの抜粋翻訳

【2026年7月18日掲載】

質問 #1:

ボブ博士

ミシガン州北部からこんにちは。

お元気ですか。こちらミシガンはかなり寒く、昨夜はマイナス5度でした。先生のサイトをさらにたくさん読み進める中で、いくつか質問が出てきました。いつも時間を割いてお答えくださることに、改めて感謝いたします。

1. 先生が艱難期の開始時期、そしてそれに続く7年後の再臨のおおよその時期について結論を導かれた方法について考えていて思ったのですが、旧約聖書には第一降臨の時期に具体的に関係する預言はあったのでしょうか。つまり、当時の人たちが、先生のようによく考えて聖書を理解する人であったなら、キリストの誕生のおおよその時期を推測することができたのでしょうか。もし誕生ではないとしても、復活の時期についてはどうでしょうか。もちろん、ベツレヘムで生まれることやダビデの家系から出ることなど、そのほかの詳細は聖書にはっきり記されていますが。

2. また、いくら読んでもまだよく理解できないことがあります。それは、千年王国で実際に生きる肉体を持った人間は、いったいどこから来るのでしょうか、ということです。千年王国で生まれる子どもたちのことではなく、その最初の人々のことです。私の理解では、再臨の時に生きている者も死んでいる者も、ユダヤ人も異邦人も、すべての信者は復活の体を受けることになります。そうすると残るのは未信者だけではないでしょうか。信者であるはずの肉体を持った人々が、未信者以外のどこから来るのかが分かりません。きっと私が何かを見落としているのだと思います。

一つお伝えしたいことがあります。質問ではありません。私たちには四人の幼い子どもがいますが、皆、いくつかのまれな健康上の問題を抱えており、さらに明日、検査結果が戻れば、また別の病気である可能性が高いという診断を受けることになっています。こうしたことがあるたびに、私たちは約束されている希望を、以前にも増して待ち望むようになります。痛みも、病気も、苦しみも、もはや存在しない、新しい永遠の体です。ある人は、それは現実逃避のための考え方だと言いました。しかし、それが誤りであることを私は知っています。

人生は、ときにとても長く感じられます。子どもたちに次々と診断が下されていたころ、私は打ちのめされ、胃の底に深い穴があいたような思いでいました。彼らに、将来約束されているものを今すぐ与えてほしいと切に願いました。しかし、それはまだ与えられませんし、私にはこうした状況をコントロールすることもできません。ただ主に委ねるしかありません。主は良いお方です。今、目の前にある問題についても、私は落ち着いていることができ、不安に押しつぶされることもありません。私たちはきっと適応していけます。人生は続きます。そして、いつの日か、これらすべては過ぎ去るのです。それは現実なのです。

先生は、私が神をより深く信頼できるよう助けてくださいました。そして、本当に神は信頼することのできるお方なのだという確信を、以前よりもはるかに現実のものとして与えてくださいました。以前にもお話ししたと思いますが、もちろん私は艱難期を経験したいとは思っていません。しかし、この世界のあらゆる壊れたものを主が来て救い、贖ってくださることを心から待ち望んでいます。それは本当に、もうすぐかもしれません。(もし2026年に事態が本当に始まるなら、子どもたちをどう備えさせるかということは、また別の機会にお尋ねしたいと思っています。私は、ある程度のことは話すつもりですが、三つのしるしが現れて、艱難期が始まったことが分かるまでは、話さずにおこうと思っていることもあります。子どもたちには、「何よりもイエス(Jesus over everything)」という言葉をいつも伝えています。もし本当に近いうちに大きな出来事が始まるなら、この言葉はいっそう重要になるでしょう。)

人生の苦しみに直面しながら、未信者の人たちがどのようにそれに耐えているのか、私には想像もできません。この希望があるかないかで、すべてがまったく違ってきます。彼らは、自分たちが何を失っているのかを知らないのです。

返信 #1:

お便りをいただき、うれしく思います!

第一降臨の時期について言えば、それを事前に、すなわち先駆者であるヨハネによる告知以前に予測することは、非常に難しかったでしょう。第一降臨、すなわち私たちの救い主の生涯、宣教、犠牲、そして復活という事実を知っている私たちは、神のご計画の「中心点」を確かに知っています。なぜなら、主はロゴス、すなわちご計画そのものだからです。そのような計算を実際に行った人がいたという証拠はありませんし、当時それを行う方法として考えられるのは、「七日間」(リンク参照)を計算し、それを、その時点まで(どの時点であれ)聖書に示されている年代記に当てはめることくらいでしょう。ダニエルの七十週の預言(ダニエル9章24-27節)は、その助けとなり、メシヤ到来のおおよその時期へと導いたことでしょう(リンク参照)。そしてもちろん、ダニエル自身も、同じような方法によって(エレミヤの預言に基づいて:ダニエル9章2節)、捕囚の終わりの時期を「計算によって理解した」のです。また、ユダヤ人の祭儀暦の構成、祭りのまとまり、それらの間隔や期間から読み取ることのできる事柄もあります。しかし、これらすべては、出来事が実際に起こった後の私たちには明らかでも、それ以前の人々にはそれほど明白ではありませんでした。実際、旧約時代の大きな問題は、多くの人が第一降臨があり、それが第二降臨<再臨>とは別個のものであることを理解せず、受け入れなかったことでした。

「こうして、神の助けによって今日まで生きながらえ、身分の低い者にも高い者にも証しをしています。私は、預言者たちやモーセが、必ず起ると言っていたこと以外は何一つ語っていません。すなわち、キリストは苦しみを受け、死人の中から最初によみがえって、この民にも異邦人にも光を宣べ伝える、ということです。」(使徒行伝26章22-23節

パウロが証言しているとおり、これらのことは聖書の中に記されていました。しかし、それは信仰をもって熱心に真理を求める者たちにだけ明らかにされたのであり、主が来られる以前には、大部分のユダヤ人は「十字架なしの冠」を熱心に求めていたのです。

千年王国について言えば、主が再臨されるときに起こる生きたままでの復活にあずかるのは、信者だけです。

「そのとき、畑にふたりの男がいると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されます。ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されます。」(マタイ24章40-41節/NIV訳)

生き残った信者たちは、主が再臨されるときに復活して「引き上げられます」が、未信者はそうではありません。獣の刻印を受けた者はすべて滅ぼされます(「火のバプテスマ」。リンク参照<英文>)。したがって、大患難やハルマゲドンで生じる大量の死に加えて、人類の数は大幅に減少することになります。

「わたしは人を純金よりも少なくし、オフィルの黄金よりも少なくする。」(イザヤ13章12節/NIV訳)

ですから、千年王国に入る者たちのかなりの割合は子どもたちである可能性が高いと言えます。なぜなら、彼らはまだ責任能力の年齢に達しておらず、獣の刻印も受けていないからです。また、千年王国に関する主要な預言群の一つは、全イスラエルがその地に再び集められることを扱っており、それらの箇所はいずれもかなり多くの人数を前提としています(リンク参照)。したがって、多くのユダヤ人もまた、獣の刻印を受けることを拒み、生き残ると結論づけることができます。

人数全体について言えば、たとえ地球の人口が95%減少したとしても(実際の割合は分かりませんが)、わずか数十年のうちに膨大な人口を生み出すには十分です。実際、大洪水を生き残ったのはわずか八人でしたが、それから今日までに人類は約七十億人にまで増えました(リンク参照)。千年王国ではあらゆる条件が理想的ですから、人口増加はこれまで人類史上に見られたどの時代をもはるかに上回るものとなるでしょう。

「未信者が人生の困難にどう耐えているのか、私には想像できません」とのお言葉についてですが、本当にそのとおりです。私たちがどのような苦難に直面するとしても、私たちは主がそれを乗り越えさせてくださると信頼しています。そして主は実際にそうしてくださいます。これまでもいつもそうでしたし、大患難においても同じことが言えるでしょう。

「その日、人々は言う。『見よ、この方こそ私たちの神。私たちはこの方を待ち望んだ。この方が私たちを救ってくださった。この方こそ主。私たちはこの方を待ち望んだ。その救いを喜び楽しもう。』」(イザヤ25章9節

すばらしい証しを分かち合ってくださり、本当にありがとうございます。

   イエス・キリストにあって

ボブ・L

質問 #2:

ボブ博士、ご返信ありがとうございました。すべてとてもよく理解できました。私たち皆が成長し、理解を深められるように、このような質問に答えてくださることを本当に感謝しています。自分で立場を決めることのできないほど幼い子どもたちが、人間として千年王国に入り、やがて地上を再び満たしていく者たちになるということは、これまでまったく考えたことがありませんでした。また、箱舟から出たわずかな人数が何十億人にも増えたという例も、とても重要なご指摘でした(しかも、その当時は人口が増えるための理想的な環境が整っていたわけでもありませんでした)。

子どもたちのことと言えば、神が子どもたちのためにご計画を持っておられることは分かっていますが、それでも私は、これから来る時代が自分の四人の子どもたちにどのような影響を及ぼすのかを、しばしば考えずにはいられません。彼らをどのように備えさせればよいのでしょうか。私たちほど長い年月をかけて学び、成長し、神についてより深く理解する時間を持てなくても、彼らは信仰を保ち、最後まで耐え忍ぶことができるでしょうか。私自身について言えば、一年一年を振り返るたびに、神は私を試し、そのご性質を教え、神を信頼することを学ばせてくださいました。また、カトリックの中で育ったことから生じた誤りを見分けるようになり、真理を追い求めて忠実であり続けようとしてきました。2033年までには、子どもたちも責任能力のある年齢に達していることでしょう。

もちろん、私たちは出エジプトの物語や、神が奇跡的に人々の必要を満たしてくださった出来事を中心に学んでいます。また、イザヤ35章3-4節、詩篇91篇、16篇、23篇のような聖句を暗唱し、イエスが支配されること、千年王国、私たちが待ち望んでいる新しい天と新しい地、そして新しいエルサレムの現実について話しています。また、裁き、回復、贖いという神の全体的なご計画についても話しています。さらに、歴史の大部分において殉教者たちが教会の一部であったことについても、子どもたちと話し合っています。もちろん、これから先のことについて、子どもたちのために祈っています。これから先を乗り越える助けとなるよう、子どもたちに教えるべき最も重要なテーマとして、先生は他にどのようなことに重点を置くべきだとお考えでしょうか。

返信 #2:

どういたしまして。

来年のことについては、私たちは皆、実際にどうなるかを待って見てみるしかありません。しかし、お子さんたちについて言えば、あなたはすばらしい備えをしておられるように私には思えます。それ以上望むことはだれにもできないでしょう。

「何を教えるべきか」という点について言えば、私自身もそのことには悩みました。へブル書が終わったので、「艱難期への備え(Trib prep)」というシリーズを書こうかとも考えていました。しかし、このサイトには終末論に関する内容はすでに十分掲載されていると判断しました。もちろん、それらのことを知る必要はあります。しかし何よりもまず、私たちは皆、お気に入りのテーマだけに集中するのではなく、信仰生活全体にわたって霊的に成長していくことが必要です。そこで私は、代わりにコロサイ書の研究を始めることにしました(リンク参照)。来年の秋までに書き終えられるかどうかは分かりません(現時点では難しそうです〔注:現在、第1章<英文>はリンク先に掲載されています〕)。しかし、これもまた私自身に対する適用なのです。私たちは、「終末の時計」が今どこを指しているのか(あるいは自分ではどこを指していると思っているのか)にかかわらず、主が私たちに望んでおられることを、一日一日続けていくのです。あなたのお子さんたちに、聖書について教えられることをできる限りすべて教えること、それが正しい道だと私は思います。それをどのように行うかは、あなたに委ねられています。もしカート・オモの Bible Academy(リンク参照)をご存じなければ、一度ご覧になることをお勧めします。子どもたちを対象として特別に作られた学びが数多く用意されています。

〔追伸:これまで長年にわたり、この働きを支援したいと思いながらも、それができなかった方々(この働きでは献金を受け付けていないため)は、どうか Bible Academy のために、神に喜ばれる惜しみないご支援をお考えいただければ幸いです。〕

どうぞ、いつでも遠慮なくお便りください。

イエス・キリストにあって

ボブ・L

質問 #3:

今回も、本当にそのとおりだと思いました! そしてもちろん、日々少しずつ成長していくことこそ、私たちが目指すべきことだという先生のお考えもよく理解しています。コロサイ書には本当に多くの霊的な内容が詰まっていますから、すばらしい学びになるでしょう!

Bible Academyもほんの少しだけ見ましたが、また改めて見ようと思っていました。子ども向けの聖書レッスンがあることにはまだ気づいていなかったので、ぜひ見てみます。ありがとうございます!

どうぞ、これからの週末と、愛するご家族と過ごされるこれからの祝祭の時を楽しまれますように!

返信 #3:

ありがとうございます!

あなたとご家族にも、すばらしいクリスマスがありますように。

イエス・キリストにあって

ボブ・L

質問 #4:

『来たる艱難期』シリーズの黙示録9章4節の説明で、先生は、いなごは女性名詞だけれども、4節の「彼ら」は男性形なので、それは、いなごに取りついている悪霊たちを指している、と書いておられます。しかし、私が調べたすべての行間逐語訳サイトと、手元のギリシヤ語新約聖書では、「彼ら」は女性形になっています。先生は何か特定の本文を用いておられるのでしょうか。

先生は次のように書いておられます。

「この災いが悪霊に取りつかれたいなごによって行われるものであることを示す要素はいくつもあります。英語訳では分かりませんが、信者や草木を害してはならないという命令は、厳密にはいなごに対して与えられたものではありません。『いなご』(akris, ἀκρίς)というギリシヤ語は女性名詞ですが、4節の『彼ら』は男性形であり、これらのいなごに取りついている悪霊たちを指しています(同じことが5節と7節の語形についても当てはまります)。」

返信 #4:

そして彼ら〔アレフ写本:αὐτοῖς、すなわち悪霊たち〕は、地の草も、どんな青草も、どんな木も害してはならず、ただ額に神の印を押されていない人々だけを害するよう命じられた。(黙示録9章4節)

黙示録9章4節では、TR(Textus Receptus〔受容本文〕。欽定訳〈KJV〉の底本となった本文)は、この語を女性形にしています。しかし、アレフ写本(シナイ写本。現存する最も優れたギリシヤ語写本)と、それ以前の本文伝承では男性形になっています。したがって、TRの女性形は、(文法を誤って理解した結果として)本文を文法的に一致させようとして行われた修正であると考えられます。

お願いがあります。これから二、三週間のうちに手術を受けなければならなくなりました。病理検査の結果が良性でありますように、また、手術の日程が早く決まり、手術が順調に終わり、回復も早く、来学期の授業などにあまり支障が出ないように、お祈りいただけないでしょうか。

〔注:皆様のお祈りにより、これらの祈りは聞き届けられました! 私のために主の御前に覚えてくださったすべての方々に心から感謝いたします。〕

前もって感謝いたします、友よ!

イエス・キリストにあって

ボブ・L

質問 #5:

ボブ先生、何度も同じことをしつこく尋ねて申し訳ないのですが……。艱難期開始の天のしるしは、天だけで起こったという可能性はあるのでしょうか。ニュースの見出しを読むと、今では毎日のように少なくとも一件か二件は銃撃事件が起きています。警告のしるしは、救われている者たちだけのためのものだったという可能性はあるのでしょうか。私はそのしるしがあった時に眠っていて、気づかずに見過ごしてしまったということはあり得るのでしょうか。

世界は内戦状態へと向かっているように見えます。アメリカはすでに、ほとんどその段階に達しています。私は、反キリストは、そのような混乱の中から現れる「平和をもたらす人物」になるのではないかと思っています。AIは、彼が私たちを支配する上で重要な要素になるでしょう。また、私たちの食べ物、空気、土壌に含まれる化学物質は、私たちの三分の一を死に至らせる方向へ向かっているように思えます。実際、人口削減を唱える人々は、そのようなことを示唆しているように見えます。私たちのうち、いったいどれほどの人が生き残るのでしょうか。もしこれがほんの序章にすぎないのであれば、ボブ先生、私たちはこれから非常に深刻な事態に直面することになると思います。

このように取り越し苦労ばかりしてしまい、申し訳ありません。先生はこれまで何度も、「まだ何も見ていないも同然だ」とおっしゃってきました。しかし、今起きていることは、私がこれまでの人生で経験してきたどんなことともあまりにも違っていて、先生のお考えを十分には理解していませんでした。人間がこれほどまでに、しかもこれほど続けて、このようなことを行えるとは思ってもみませんでした。

先生とご家族が皆お元気でおられ、ルイビル大学(U of L)のすべてが順調であるよう、お祈りしています。どうぞ健康と安全が守られますように。

私たちの主にあって

返信 #5:

だから私は、あまりニュースを見ないのです。

艱難期が始まったことに私たちが気づかない、という可能性はないと思います。世界中で感じられる地震を見逃したり、その間眠ったまま気づかないということは、かなり考えにくいでしょう(昏睡状態にでもなっているのでない限り)。まして、「大きな雷鳴のような声や稲妻のひらめき」まであるのですから。

「私たちのうち、どれほどの人が生き残るのでしょうか」という点についてですが、一言で答えるなら、イエス・キリストへの信仰を守り通すすべての人です。ただし、その方法は人それぞれ異なります。

「これらはみな産みの苦しみの初めである。そのとき、人々はあなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国民に憎まれるであろう。そのとき、多くの人がつまずき、互に裏切り、憎み合うであろう。また多くの偽預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」(マタイ24章8-13節/NKJV訳)

ここで私たちの主は、「どの『終わり』まで」とは言っておられないことに注目してください。私たちの「救い・救い出し」が、キリストの再臨の時の生きたままでの復活によって与えられるのであれ、その前に殉教することによって与えられるのであれ(それは豊かな報いを保証します)、あるいはイザヤ57章1節のように早く天に召され、艱難期そのものから救い出されるのであれ、結局のところ、キリストへの信仰を守り通すすべての人が勝利を得るのです(第一ヨハネ5章4節。参照:ローマ8章37節)。私たち信者は皆、一つの完全で一致したキリストの花嫁として永遠に共に生き、お互いを喜び、そして愛する救い主を神の御国において永遠に喜び続けることになります。それこそが唯一の本当の意味での「生き残る」ということです。そして、結局のところ、それこそが救い・救い出しの意味なのです。それは、この堕落した地上で数年間の平穏な生活を送ることではなく、あらゆる苦しみが永遠に終わることなのです。

「彼らは、もはや飢えることもなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。御座の正面にいます小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉に導き、神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取って下さるのである。」(黙示録7章16-17節/NKJV訳)

「神は彼らの目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。」(黙示録21章4節/NKJV訳)

イエス・キリストにあって

ボブ・L